鉄牛和尚

更新日:2022年09月29日

椿海(つばきのうみ)の干拓を成功させた鉄牛(てつぎゅう)和尚

 東庄町・干潟町・旭市・八日市場市にまたがる低湿地帯は、かつて海水が湾入していたが、沿岸流の発達により閉鎖され椿海という湖となった。
寛永16年(1639)頃から椿海の新田干拓が計画され、この大工事は寛文11年(1671)に完成した。この事業により干潟八万石といわれる良田2,741町歩が整備され、18か村が形成された。その中心となったのが鉄牛和尚である。
 鉄牛和尚は、寛永5年(1628)山口県に生まれ、幼名を才之助といった。14歳のとき、因幡の龍峰寺に隋身し、提宗禅師のもとで学び慧覚と改名した。明暦元年(1655)長崎に赴き、宗祖隠元禅師に師事した。満治2年(1659)号を鉄牛、名を道機と改める。寛文6年(1666)印可を与えられ、のちに江戸・芝の瑞聖寺、向島・弘福寺を開山している。
鉄牛和尚は、椿海の開拓による功績で寄進された福聚寺(東庄町小南)で晩年を過ごし、元禄13年(1700)73歳で永眠した。

福聚寺

数段の階段を登った先にある白い壁の福聚寺の山門の写真

椿海の干拓による功績のあった鉄牛和尚の開山に始まる。寺宝として宗派関係の書画、宗祖隠元和尚・木庵和尚・鉄牛和尚像等があり、県指定文化財になっている。

県指定有形文化財(絵画) (注意)3幅一対画軸

袈裟を着て背丈より長い棒を持った和尚さんが描かれた絵画3枚の写真

左より、紙本著色隠元和尚像、紙本著色木庵和尚像、紙本著色鉄牛和尚像

鉄牛和尚墓

大きな台座に文字が書かれた墓石が乗っている石製の鉄牛和尚の墓の写真

遺言により境内で荼毘にふされ、その場所に石造無縫塔が建立された。塔は2メートルに及ぶ巨大なもので伊達綱村・稲葉正通の寄進。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 教育課 生涯学習係
〒289-0601 千葉県香取郡東庄町笹川い4713-131
電話番号:0478-86-1221
ファックス番号:0478-86-3454